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福岡地方裁判所 平成3年(ワ)546号 判決 1996年3月19日

主文

一  被告福岡市は、原告に対し、金五〇万円及びこれに対する平成元年九月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告福岡市に対するその余の請求及びその余の被告らに対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告福岡市の、その余を原告の負担とする。

四  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

一  被告らは、原告に対し、各自金二三〇万円及びこれに対する平成元年九月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告福岡市は、原告に対し、金七〇万円及びこれに対する平成三年四月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、市立中学校に生徒として在籍していた原告が、恐喝事件を起こしたことに端を発して、同中学校の教師らによって海岸の砂浜に埋められるという体罰を受けたり、頭髪を丸刈りにされたりしたなどと主張して、市に対して国賠法一条一項、民法七一五条、七〇九条に基づき損害賠償を請求するとともに、右体罰に関与した教師ら個人に対しても民法七〇九条、七一九条に基づき損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実及び証拠上明らかな事実

1 当事者

(一) 原告(昭和五〇年一〇月一五日生)は、昭和六三年四月から平成三年三月まで、福岡市立甲川中学校に生徒として在籍していた者である。

(二) 被告乙山松夫は平成元年から少なくとも平成三年三月まで、同丙川竹夫は昭和五九年四月から平成三年三月まで、同丁原梅夫は昭和六〇年四月から平成二年三月まで、同戊田春夫は昭和六一年四月から少なくとも平成三年三月まで、同甲田夏夫は昭和六一年四月から少なくとも平成三年三月まで、同乙野秋夫は昭和六一年四月から平成三年三月まで、同丙山冬夫は昭和六三年四月から少なくとも平成三年三月まで、それぞれ甲川中の教諭であり、このうち被告丙山は原告一年時の、同乙野は同二年時の、同戊田は同三年時の担任であった。なお、被告丙川は、平成元年度より、授業を受け持たず、専任で生徒指導にあたる生活補導主事であり、丁川一夫(以下「丁川校長」という。)は、原告二、三年時の甲川中の校長であった。

被告福岡市(以下「被告市」という。)は、甲川中を設置管理し、同校に関する教育事務を行う地方公共団体である。

2 原告は、平成元年九月三日、訴外戊原一郎(昭和五一年三月一日生、以下「戊原」という。)外二名と共に、福岡市内の学生服専門店において、学生服等を購入に来ていた福岡市立乙原中学校(以下「乙原中」という。)の生徒ら九名に対し、金銭を要求しようと企て、右生徒らに店外に出るよう声をかけたところ、右生徒らは恐喝されることを察知して店主に金銭を預け、原告らが居なくなった隙に同店を出て逃げ出したが、原告らは、しばらくして同店に戻ってきた右生徒二名を捕らえ、さらに、右二名に案内させて他の乙原中生徒七名を見つけ、これらの生徒から合計金二万円余りを恐喝した(以下「乙原中事件」という。)。

被告乙山、同丙川、同丁原、同戊田、同甲田、同乙野及び同丙山(以下、右七名の教諭らを一括して、あるいはそのうちの一部の教諭らを指して「被告教諭ら」ということがある。)は、同月一二日、協議の結果、乙原中事件の加害生徒の指導を行うべく、これら生徒を同日夕方に来校させるようその家人に伝えたところ、同日午後七時三〇分ころ、原告及び戊原が来校した。被告教諭らは、行き先を告げずに、原告及び戊原を自動車に乗せ、甲川中から約八キロメートル離れた福岡市西区今津の長浜海岸まで連れて行き、同日午後八時過ぎころ、右海岸の砂浜にスコップで穴を二つ掘り、原告及び戊原に対して各別に穴の中に入るよう命じ、両名を穴に入れてしゃがみこませた上、右各穴にスコップで砂を入れ、さらに手などで砂を両名の肩のあたりまで盛り上げた(以下「本件砂埋め」という。)。

3 同月一九日、甲川中校長室において、丁川校長が原告に対し、乙原中事件につき被害生徒らに謝罪するについて丸刈りになるよう指示し、これに従い被告乙野及び同乙山が甲川中印刷室において、原告をバリカンで丸刈りにした(以下「本件丸刈り」という。)。その後、原告ら加害生徒は、被告丙川らに付き添われて乙原中に謝罪に行ったが、乙原中側からは被害生徒との面会を断られたため、同校校長らに対して謝罪した。

4 原告は、遅くとも平成元年一二月ころから平成二年三月ころまで及び同年六月ころから平成三年三月ころまでの間、標準学生服と異なった服装で登校した際、甲川教諭より服装を改めて登校するようにとの指導(以下「本件再登校指導」という。)を受けた。

二  争点

1 本件砂埋めに至る経緯及びその態様(特に、本件砂埋め当時の天候及び長浜海岸の明るさ、被告教諭らが同海岸に持参したスコップの本数、被告教諭らが本件砂埋めを決定した時期、原告が埋められた穴の位置及び波の状況等)

(一) 原告の主張

(1) 平成元年九月一二日午後七時少し前ころ、被告乙野は、原告の母甲野花子(以下「花子」という。)に電話をかけ、恐喝事件に関係があるようなので事情を聞きたい旨告げて、原告を甲川中に出頭させるよう求めた。花子は、右電話の直後に帰宅した原告及び一緒にいた戊原に対し、学校から電話があったからすぐ学校へ行くようにと伝えたことから、原告らは被告教諭らに食事をごちそうしてもらえるのかなどと思いながら甲川中に出頭したところ、被告丙山が戊原に、「おまえ恐喝したろうが」と問いを発しただけで、被告教諭らは、原告らが恐喝の事実を認める様子がないものと判断し、遅くとも学校を出発する時点までに、長浜海岸において原告らを波打ち際に埋めて乙原中事件の自白を迫ろうと共謀するに至り、あらかじめ準備していたスコップ数本とロープを被告教諭ら所有の自動車に積み込み、原告らに行き先も目的も告げず、また原告らの親権者らにも無断で、かつ、校長に事前の報告や承認を得ることもなく、原告らを各別の自動車に乗せ、合計三台の自動車に分乗して同日午後七時二〇分ころに学校を出発し、甲川中から約八キロメートル離れた福岡市西区今津の長浜海岸まで連行した。

(2) 被告教諭らは、同日午後八時ころ、右海岸の波打ち際からさほど離れていない位置に、直径約一メートル、深さ約一メートルの穴二個を、それぞれ二、三本のスコップを用いて掘ったが、その際、被告乙山は、原告に対し、「お前死ぬっつぉ」(死ぬことになるという意味)などと申し向けた。なお、当時は小雨が降っており、人気も照明もない暗闇であった。穴を掘り終わると、被告教諭らは原告らに対して、海側に顔を向けて穴の中に入るよう命じたところ、戊原においてはいったん逃げようとしたが取り押さえられ、原告においては逃げることも拒否することもできず、それぞれ穴の中に入ってしゃがみ、あるいは正座した。被告教諭らは、こもごも原告らが入った穴にスコップで砂を入れて原告らを首まで埋め、更に被告丙山が首のまわりを踏み固めるなどして同所より脱出できない状態にし、原告らの顔面に波がかぶるまでの約二〇ないし三〇分間、原告らを右砂浜に生埋めにした。右生埋めは、その時刻、場所、天候、態様、拘束の程度、原告らの年齢、体格、特性、被告教諭らの人数、脅迫文言、波かぶりの状況、継続時間などからして危険極まりないものであった。この間、被告教諭らは、原告らに対し、乙原中事件について追及して自白させた後、穴から出したが、戊原については反省がないとして、被告教諭らの中の数名が更に同人を海へ投げ込み、殴るなどの暴行を加えた。

(3) 被告教諭らは、右海岸から帰校後、原告及び戊原以外の乙原中事件の加害生徒二名を学校に呼び出し、甲川中の格技場に連れ出し、右事件の追及をしたが、即座に自白しなかったことから、右二名に殴りつけるなどの暴行を加え、このうち一名の生徒の鼓膜を損傷させた。

(二) 被告らの主張

(1) 被告教諭らは、平成元年九月八日、原告外三名の生徒らの家庭に電話をかけ、同人らが帰宅したら連絡するよう保護者らに依頼するなどしたが、右連絡はなく、同人らの所在もわからなかった。同月九日、右生徒らが登校してきたため、被告丙山が、放課後残っておくようにと伝えたが、右生徒らは無断で早退してしまった。

同月一二日、二年生担当教諭らによる学年会で、乙原中事件に関与したと思われる生徒らの家庭訪問を再度行うこととなり、被告乙野は同日午後六時三〇分ころ、原告宅を訪問し、原告が帰宅したら学校に来させてほしい旨花子に伝えたところ、同日午後七時三〇分ころ、原告及び戊原が来校してきた。そこで、被告乙野及び同丙山が右両名に対し、乙原中事件について尋ねたが、「自分は知らん。関係ない。早く帰してくれ。」などと言うばかりで、いずれも恐喝を行った事実を話そうとしなかったことから、被告乙野及び同丙山は職員室にいったん戻り、そこで待機していた二年生担当教諭及び被告丙川と今後の指導につき話し合った。その結果、原告及び戊原を素直にするために校外に出て、時間を与え、そこでじっくりと話をし、自分のやったことを自分の口で言えるように指導しようということになった。

被告乙野の運転する車の後部座席には被告丙川、同丙山及び原告が、被告丁原の運転する車には被告甲田及び戊原が、被告戊田の運転する車には被告乙山が分乗し、被告乙野の車を先頭にして校外に出た。その際、被告乙野は、同人の車に体育会で使う竹と石を取ってくるため使用したスコップ二本が後部座席に積んであったことから、三人分の席を確保するため右スコップをトランクに積み替えた。

(2) 車中においても、被告丙山らは、原告より右事件について聞こうとしたが、原告は、恐喝の事実について語ろうとはしなかった。

長浜海岸を行き先として選択したのは、先頭車に乗っていた被告丙川及び同丙山が、たまたま西の方へ向かっていた車中で、長浜海岸は、原告及び戊原が一年生の時遠足に行った場所でもあり、楽しい思い出もあろうということ、また、心を開いて話し合うには良いところであると考えたためであり、それに従ったものである。

当時の天候は、少なくとも傘等の雨具を必要とするほどの降雨ではなく、時間によってはほとんど降っていない状態であり、雷も光ったり鳴ったりはしていなかった。海岸付近の明るさも、市街地の灯が低く垂れ込めた雲に反射し、また、近くの駐車場にもヘッドライトを点けた車が出入りしており、真っ暗の状態ではなかった。

海岸に着くと、原告には被告乙野が、戊原には被告丙山がついて話を聞くことになった。被告乙野は、原告に対して恐喝のことについて話しかけたが、原告は沈黙し下を向いたままであり、一方、被告丙山は、「一年のとき遠足に来た場所だね。素直にならんといかんよ。」などと戊原が恐喝のことを自分の口から話すようにもっていこうとしたが、戊原は、「知らない、関係ない。」というばかりであり、結局、恐喝の事実を聞き出すことはできなかった。

そこで、原告の方に被告丁原を、戊原の方に被告戊田を残して、その余の被告教諭らは車の近くに集合し、善後策につき話し合いをした。その中で、右教諭らは、原告らに対して一人で考えさせたいが、そのまま一人にしても逃げ出すかもしれず、仮に逃げ出した場合、夜の海岸でもあり、どのような事故が起きるかわからないなどの話が出るなか、この時点において、自らの口から恐喝の事実を話すことは原告及び戊原にとって極めて重要であるにもかかわらず、そのための名案がないという状況において、被告丙川が、「砂に埋めて一人で考えさせようか。」と提案したところ、他の教諭らもこれに同意した。

(3) そこで、被告丙川は、波打ち際から一五ないし二〇メートル離れた、穴を掘っても水が出てこないような地点を二箇所指示し、被告教諭らは、それらの場所に穴を掘り始めた。原告を入れるための穴は戊原を入れるための穴より波打ち際から遠く、また、若干緩やかな勾配の砂浜に位置しており、両者の間隔は約五〇メートルであった。原告を入れるための穴は、被告丁原及び同乙野が最初は手で、途中からは同乙野が車から持ち出したスコップで掘り、戊原を入れるための穴は、被告丙山が掘った。この間、原告はそばで黙って立っており、戊原は被告丙川が事実を追及したにもかかわらず、事実を話そうとはしなかった。

穴を掘り終わり、被告丁原が原告に対して穴に入るようにと言うと、原告は黙って入って座ったので、スコップの先が顔に当たらないよう原告の背中の方からスコップで砂を入れ始め、途中からは手で砂を入れ、その後は手で砂を押し寄せて肩の辺りまで砂を盛り上げた。戊原に対しては、被告丙川が穴に入るよう指示し、戊原は無言で穴に入ったが、立ったままだったので、被告丙山が肩を押さえて座らせ、最初はスコップで砂を入れ、ある程度砂を入れた後、砂が顔にかからないように、手でかき寄せて砂を入れた。

被告乙野、同丁原、同甲田及び同乙山は、原告の埋められた場所から七、八メートル後方に腰を下ろし、原告に危険が及ばないよう波の状況や原告の様子を見ていた。一方、被告丙川、同丙山及び同戊田は、砂をかけて盛り上げた後、一人でしばらく考えさせるため、二ないし五分間、戊原を埋めた場所から四、五メートル離れた位置で、同様に波や戊原の様子を注視していた。その間、原告らに特段危険を及ぼすような波が押し寄せることはなかった。

しばらくして、被告乙山が、次に同丙山が、さらに同甲田が原告の様子を見に行った。原告を埋めてから一〇分程して、被告丙山が原告に、「したっちゃろう。」と聞くと、原告がうなずいたため、原告を穴から出した。

原告を穴から出した後、被告乙野及び同丙川は、砂浜後方の土手に原告を連れて行き、原告の長所や高校進学などの話をした。一方、被告丙山は、戊原を穴に埋めた後、数分間話をして穴から出したが、戊原が同教諭に対して反抗的態度をとったことから、波打ち際に戊原を連れて行き、同被告、被告乙山、同甲田が次々に海中に戊原を押し倒した。その後、被告丙山が、戊原を砂浜に連れて行き、同人の反抗的態度について説諭した。

(4) 学校に戻る車中においても、原告に対して、恐喝した金銭の弁償や被害生徒に対する謝罪のことについて話すとともに、原告の勉強に対する意欲をほめながら高校進学のことについて話し、原告にこれから頑張るように励ましたところ、原告は、素直にうなずいて話を聞き、返事もしていた。

学校には午後九時ころ到着し、原告らは、足洗い場で砂を流したが、その間二人でふざけ合いながら水の掛け合いをし、その後、警備員室のシャワーを使用した際も、声を上げてはしゃぎ合っていた。原告らは、被告乙野が原告宅から取ってきた洋服に着替え、丙山から相談室で五分程指導を受けた後、学校に残っていた乙川教諭の運転する車に乗って自宅に帰った。

2 本件砂埋めの違法性の有無

(一) 被告らの主張

(1) 国家賠償における違法性の概念は、損害の重大性、加害者と被害者との人間関係、被害者及び加害者の事情、加害行為の態様、その動機・目的その他の相関関係において捉えられるものであって、個々の公権力の行使における違法性の有無ないし違法性阻却事由の有無については、それぞれの具体的事情について実質的判断が必要となる。したがって、本件砂埋めが違法性を有するか否か判断するに当たっても、本件砂埋めに至るまでの状況、原告の要指導状況、目的の正当性、本件砂埋めの態様、方法の相当性及び原告の損害の程度等の諸事情が総合的に考慮されるべきである。

(2) 本件砂埋めに至るまでの状況、原告の要指導状況

原告は、甲川中入学当初から、暴走族ともつながりのある問題生徒らと行動をともにし、被告教諭らを含む甲川中教諭らの指導にもかかわらず、遅刻、怠学等の問題行動を繰り返していた。平成元年の夏休み、原告らが、深夜徘徊を繰り返しているとの情報を得たことから、被告教諭らのうちの数名は、被告丙山宅でバーベキューパーティーを催し、原告らを呼んで、生活面や学習面について話をした。

平成元年九月八日、被告丙川は乙原中より乙原中事件についての連絡を受けたため、同校に出向き、加害生徒が原告外三名(すべて当時の二年生)に特定されたことから、二年生担当教諭らは、その善後策を検討すべく、同日の放課後学年会を開催し、右加害生徒らの家庭に、右生徒らが帰宅したら学校に連絡するようにとの連絡をする旨決定し、教諭らは各家庭にそれぞれ連絡をしたものの、原告らから学校への連絡はなかった。同月九日、原告外三名は遅刻して登校し、これを認めた被告丙山が放課後残っておくよう伝えたものの、無断で早退してしまった。同月一〇日は日曜日であり、被告丙川は原告らを捜し回ったが、見つけることはできなかった。同月一一日、原告外三名はやはり遅刻して登校してきたものの、いつの間にか早退してしまった。

このように、原告らは、乙原中事件の重大性にもかかわらず、右事件発生日から九日間、被告教諭らの連絡を無視して登校せず、たまたま登校しても無断で早退して被告教諭らの指導を受けようとしない状態が続いていたばかりか、平成元年九月一二日に来校した際も、恐喝の事実を認めようとせず、海岸で口頭で指導したときも自ら恐喝の事実を話そうとしなかったのであり、かかる状況下にあって、被告教諭らは、原告らが自分自身を見つめて反省し、今の自分を乗り越えて立ち直ることが何より大切であって、そのためには、まず、当該恐喝行為の反社会性、重大性を認識させ、その事実を自ら認めて謝罪することこそが、原告らが立ち直るために最も重要かつ必要な契機になるものと考え、協議の結果、砂浜で一人にして静かに考えさせるのが良いと判断し、本件砂埋めをするに至ったのである。

(3) 目的の正当性

被告教諭らは、原告に対し、日頃から繰り返し口頭指導を行うとともに、度々家庭訪問も行い、花子に対しても原告を指導・教育するように要請していたが、花子は原告を放任し、また、事実と異なった認識を持って原告を擁護する態度であって、同人が原告に基本的道徳観ないし規範意識を身につけさせるよう監督・教育することはほとんど期待できない状態であった。また、原告は問題行動を繰り返し、その程度・内容は深刻化の一途をたどっていた。原告については、問題行動を起こしていた生徒らとともに、学校外で暴力を用いて恐喝したことがわかったのは乙原中事件が初めてであったが、これら問題行動を起こしていた生徒らと日頃から行動を共にしていたこと、平成元年八月三一日に甲川中の生徒により惹起された福岡市立丙田中学校の生徒に対する暴行・恐喝事件(以下「丙田中事件」という。)の時に、原告が近くにいて警察に事情聴取されていること、右両事件が極めて近接した時期に行われていることなどを考えると、原告についても恐喝などの問題行動を短期間のうちに繰り返すことが考えられた。また、地域住民は、校区内パトロールや地域活動への参加呼びかけを懸命に行い、問題行動の防止などに努力していたが、原告を含む問題生徒の問題行動は一向に沈静化せず、ますます悪質化する様相を呈しており、地域住民は,被告教諭らに対し、原告らへの指導方を強く要請していた。

ところで、「他人に迷惑をかけてはいけない」、「自分の行為には責任を持たねばならない」、「社会生活の中で無法は許されない」などの社会生活における基本的かつ重要なルールを教えるのは、家庭の義務であると同時に、生活指導としての学校教育、ひいては教諭の責務であるところ、原告のようにルールを守らなければならないという意識が確立されていないような生徒に対しては、かかるルールを教えることは、最重要・最優先されるべき教育内容である。そして、かかる指導を原告に対してするためには、まず、原告が、自己の行為を進んで他者に打ち明け、その行為の非違性を認識させるような指導を早急に行うことが、原告自身にとってぜひとも必要であったのである。

(4) 本件砂埋めの態様は、前記1(二)(3)のとおりであり、被告教諭らの行為態様は、殴る・蹴るなどの身体的損傷を生じるような有形力の行使ではなく、その時の具体的状況下において、原告の安全性を十分配慮して、原告の身体を最小限度拘束したものであるに止まる。また、前記1(二)(4)のとおり、その事後措置をしている。

このような行為態様からすると、本件砂埋めは、原告の行った問題行動の程度・内容及び原告の要指導状況などの諸事情に照らし、決して原告の諸利益との間の均衡を失したものではない。

(5) したがって、本件砂埋めは、外形的には、原告の身体を拘束したという意味において、身体に対する有形力の行使ではあるが、原告の家庭環境、原告の問題行動の程度・内容、被告教諭らに課された要指導状況、被告教諭らの原告に対する指導についての動機・目的ないし認識、当該指導に至る経緯、当該指導の方法ないし行為態様、他の生徒らに及ぼす影響、他の生徒及びその保護者や地域住民からの被告教諭らの指導に対する期待など諸般の事情を総合判断すると、原告と被告教諭らを取り巻く本件の具体的状況ないし諸条件の下では、真にやむを得なかったものというべく、被告教諭らの行った当該指導をもって、教師に許された生徒指導に関する裁量権の限界を逸脱し、それが社会的許容範囲を超えた違法・不当なものであるとまではいえず、なお社会的相当性を失わないものというべきである。

(二) 原告の反論等

(1) 原告は問題行動を継続反復的に行っていたとも、その問題行動の程度・内容も深刻化の一途をたどっていたともいえず、原告の家庭において、道徳ないし基本的行為規範を身につけることが期待できない状況にあったともいえず、被告教諭らが、他の甲川中生徒及びその保護者並びに地域住民から、原告を含む問題生徒に対して早期に効果的な指導を行うよう強く要請・期待されていたという事情もない。確かに、平成二年七月一八日、保護者集会が開催され、今後も校区を挙げて被告教諭らの指導をバックアップすべきとの集会の総意が形成されたということであるが、右集会は、被告教諭らの本件事件に関する一方的で偏頗な報告を前提とするものであり、また、被告教諭らを支持する校長、教諭らの主導のもとに開催されているから、かかる総意には何らの意味もなく、また、そもそも本件砂埋めが容認される事情となるものでもない。また、本件砂埋めの行為態様も、原告を死に至らしめる危険性が存したものというべきである。また、原告の問題行動と本件砂埋めとの均衡論を持ち出すこと自体が的はずれというべきであるし、その均衡も大きく失しているべきである。

(2) 憲法三六条は、公務員による拷問を絶対的に禁止すると規定しており、拷問とは、一般に被告人、被疑者等に自白を強要するために肉体的・精神的苦痛を与えることをいうものと解されるところ、子どもであっても拷問を受けない権利を有しており、子どもの権利条約一九条一項もこの権利を前提として、子どもはあらゆる形態の「身体的若しくは精神的な暴力、傷害若しくは虐待」から保護される権利を有すると規定している。また、かかる拷問の禁止は教育行政上も次のように指導されているところである。「ただし、訊問にあたって威力を用いたり、自白や供述を強制したりしてはならないことはいうまでもない。そのような行為は強制捜査権を有する司法機関にさえも禁止されているのであり(憲法三八条第一項、第三六条参照)、いわんや教職員にとってそのような行為が許されると解すべき根拠はないからである。」(昭和二三、一二、二二調査二発第一八号、法務庁法務調査意見長官から国家地方警察本部長官、厚生省社会局、文部省学校教育局あて「児童懲戒権の限界について」)、「盗みの場合などその生徒や証人を放課後訊問することはよいが自白や供述を強制してはならない。」(一九四九年八月二日法務府発表「生徒に対する体罰禁止に関する教師の心得」)。

本件砂埋めの目的は、本件恐喝事件について原告らに対し自白を強要することにあったことは明らかであって、被告教諭らの本件砂埋め行為が拷問に該当し、違法であることは明らかである。

(3) 学校教育法一一条は、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」と定めるところ、ここにいう「懲戒」とは、生徒に対するすべての不利益処分を、「体罰」とは、生徒に対して肉体的苦痛を伴わせるあらゆる形態の行為を意味する。そして、体罰は、わが国の教育理念である民主主義、平和主義に真っ向から対立するものであり、また、肉体的苦痛を与えることによって事態を鎮静化させることは、なされるべき真理の探究を損ない、生徒の心と身体に傷を残し、その円満な成長を阻害するものでしかなく、法律上、教育倫理上及び教育実践上、絶対的に禁止されるべきものであるのみならず、教育行政上も次のように絶対的な体罰禁止の原則を貫いている。「規則の遵守は極めて大切であるが、単に規則を押し付けることであっては無意味である。規則は、生徒一人一人がその必要性を理解し、主体的にそれを守ろうとすることによって初めて指導の効果が上がるものである。したがって、単なる強制であってはならないのであり、まして体罰は絶対に許されない。体罰で一時的に行動が改善されるように見えても、それはただ表面的であり、かえって内心の反発を生じ、人格形成に決して望ましい影響を与えるものではない。このように、体罰は教育的効果を期待できないものであり、学校教育法一一条によって厳に禁止されている違法行為であることをすべての教師が十分に認識すべきである。」(文部省生徒指導資料第二〇集、生徒指導研究資料第一四集(昭和六三年三月))。

したがって、同条ただし書は、体罰の行使を教育上の必要性の有無にかかわらず全て禁止することをあえて明確にしたものというべきであるところ、本件砂埋めの前記態様等(二1(一))に照らせば、右行為が体罰に該当し、同条ただし書に反することは明らかである。

そして、いやしくも体罰が加えられたといえる以上は、たとえ懲戒行為としてなされたものであっても法律上は違法な行為であって、体罰に違法なものと適法なものがあるというべきではないから(静岡地裁昭和六三年二月四日判決参照)、本件砂埋めの違法性が阻却される余地もないというべきである。

3 本件丸刈りの違法性の有無

(一) 原告の主張

(1) 平成元年九月一九日午前、丁川校長及び被告教諭らは共謀の上、甲川中校長室内で、丁川校長が原告に対し丸刈りになるよう命令し、引き続き、被告乙野、同乙山ら数名の教諭らが、原告を甲川中印刷室に連れて行き、同室おいて、被告乙野が原告の頭髪を学校に備えつけられていた電気バリカンで切除しようとしたが、バリカンの刃が頭髪に引っかかって原告が苦痛を訴えたので、被告乙山が同乙野に代わって、原告の頭髪を切除して丸刈りにした。当時の甲川中は、昭和五九年四月被告丙川の赴任、昭和六〇年四月甲川丘中の分離に伴う受容型(対話型)指導を主張していた多くの教諭の異動と被告丁原の赴任、昭和六一年四月被告乙野、同甲田、同戊田らの赴任、昭和六三年四月被告丙山の赴任という経過をたどって、被告丙川及び同丙山を中心とするしつけ型指導の方針が浸透、徹底され、生徒に対する体罰が日常化しており、教諭らの体罰による強力な生徒支配関係が樹立されていた。また、原告は、乙原中事件を犯したことによる負い目などがある中、丁川校長から校長室において、複数の教諭が取り囲み、保護者の立会いもない状況で、謝罪当日に初めて丸刈りするよう命令された。そして、原告は丸刈りされた当日、ショックで帰宅後布団をかぶって泣き、翌日から三日間学校を休んだ。

以上のような行為態様、原告と被告教諭らとの圧倒的な力関係の差、原告の心理状態、時間的場所的状況、丸刈り後の原告の行動にかんがみれば、本件丸刈りは、被告教諭らの強力な支配下で強制されたものであるというべきである。

(2) 学校教育法一一条ただし書は、懲戒としての体罰を禁止しているが、それは体罰が生徒の生命身体の安全を損なう危険性があるだけでなく、生徒の人間としての尊厳を損ない、精神的屈辱感を与えるとともに、教育効果の面からみても、体罰で一時的に行動が改善されるように見えても、それはただ表面的であり、かえって内心の反発を生じ、人格形成に決して望ましい影響を与えるものではないからである。丸刈りは、児童・生徒に著しい屈辱感を与え、人間としての尊厳を損ない、それを強制された者にいたずらに反抗心をつのらせ、内省的、自発的な人間形成の機会を摘み取るものであり、この点で、同法一一条ただし書の体罰と同視することができる。

また、被告教諭らが本件丸刈りをした動機は、丙田中事件の際、被害者の保護者が加害生徒の丸刈りを見て心証を良くし、事態が収拾されたということがあったことから、乙原中事件においても外形を整えて謝罪に行くことによって円満に事態を収拾したいという点にあり、本件丸刈りには教育上の目的は全くなく、同法一一条所定の正当な懲戒権の行使の要件さえも欠くものであるし、そもそも今日の一般社会において丸刈りによる謝罪など行われてはいないから、丸刈りさせること自体が教育目的に明らかに反するものとさえいうべきである。

(3) したがって、本件丸刈りは同法一一条に反し違法であり、違法性を阻却する事由もないものというべきである。

(二) 被告市の主張

(1) 本件丸刈りが違法性を有するか否か判断するに当たっても、本件丸刈りに至るまでの状況、原告の要指導状況、目的の正当性、本件丸刈りの態様、方法の相当性及び原告の損害の程度等の諸事情が総合的に考慮されるべきである。

(2) 本件丸刈りの経緯及び態様

丙田中事件発生後、同事件に対する今後の対応を話し合うため、加害生徒及びその保護者を集めて協議が持たれたが、被害生徒の保護者の怒りは激しく、態度をかなり硬化させており、丁川校長及び被告教諭らを含む甲川中の関係者並びに加害生徒の保護者らは、被害生徒やその保護者に対する謝罪を含めた話合いで相手に誠意が伝わらなければ学校の手を離れ、警察などの外部機関の処理になってしまうのではないかとの危機感を抱いていた。そして、加害生徒の保護者から、できることなら外部機関での処理は避けたい、学校と家庭とで何とか生徒たちを立ち直らせたいという希望が述べられたが、加害生徒たちは、改造した学生服を身につけ、中には頭髪を脱色している者もおり、謝罪に行ってもかえって相手の反感を買いかねないという状態であった。そこで、右協議の席上、丁川校長が、謝罪に当たっては反省の気持ちを態度で表す必要がある旨発言したところ、保護者の一人から、加害生徒らを丸刈りにしてはどうかという提案があり、他の保護者もこれに賛成したことから、同人らを丸刈りにし、標準服を着せた上、加害生徒らを丙田中に行かせ謝罪させたところ、被害生徒やその保護者も納得し、謝罪を快く受け入れてくれた。

ところが、右謝罪の翌日、丙田中事件の加害生徒二名を含む四名の生徒により乙原中事件が引き起こされた。そこで、同事件への対応を協議すべく、平成元年九月一八日、加害生徒の保護者らを集めて協議が持たれ(なお、花子は時間の変更を申し入れたのにもかかわらず、出席しなかった。)、右協議の場において、乙原中への謝罪については、丙田中事件の時と同様、服装を正し、頭髪を丸刈りにして行おうということで出席した保護者らの合意を得た。そこで、同月一九日、丁川校長は、原告ら加害生徒を校長室に呼び、前日開催の保護者協議に基づき、丁川校長がきちんとした格好で謝罪に行くことの必要性を示唆したところ、既に丙田中事件で丸刈りになっていた二名の生徒から、「坊主にせな」という声が挙がったこともあって、丁川校長が原告外一名に対し、「坊主にするね」と確認したところ、原告らがうなずいたため、丁川校長は、被告乙野に対し、原告らの頭髪を刈るよう指示した。そこで、同被告は印刷室においてバリカンで原告らの頭髪を刈ろうとしたがうまくいかなかったため、被告乙山が代わって原告らの頭髪を丸刈りにした。なお、原告は当時頭髪を脱色していたから、頭髪を整えるだけでは足りず、丸刈りにまでする必要があったものである。

原告外三名は、乙原中に謝罪に出向き、同校の校長らに対し謝罪をしたが、原告らが丸刈りにし、標準服を着ていったことで、対応した乙原中の教諭らは、「何でこの生徒たちが。」などと言うほどであり、最後には優しく、「今後しっかりがんばりなさい。」と励ましてくれ、原告らもこれに素直に応えていた。

(3) 以上のごとく、本件丸刈りは、本件恐喝事件の謝罪に際し、原告の意思も確認した上でなされたものであり、原告に対する教育指導方法として合理性・妥当性を欠くものでなく、社会的相当性の範囲内にあるものというべきである。

4 本件再登校指導の違法性の有無

(一) 原告の主張

(1)甲川中では、生徒が標準服を着用しないで登校すると、校門での服装検査で発見した場合には、教師らがその場で当該生徒を帰宅させ、また、標準服を着用しないで校内に入ってきた場合は、かかる生徒を発見した時点で当該生徒を帰宅させる措置がとられており、標準服を着用しない生徒に授業を受けることを禁止していたものである。

(2) すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じてひとしく教育を受ける権利を有する(憲法二六条一項)ところ、被告教諭らを含む甲川中教師らが、原告を学校から追い返し、登校を禁止した措置は、原告の教育を受ける機会を剥奪するもので、正に教育を受ける権利を侵害する行為である。そして、義務教育中のすべての学齢児童及び学齢生徒に対しては、停学処分を行うことはできない(学校教育法施行規則一三条)ところ、甲川中教師らの右措置は、実質的には右停学処分を課したのと同じである。また、福岡市教育委員会出版にかかる「平成六年度学校教育指導の重点」にも、「遅刻した生徒を教室に入れず、授業を受けさせないことはたとえ短時間でも義務教育では許されない。」、「授業時間中、怠けたり、騒いだからといって生徒を教室外に出すことは許されない。」と記載されていることからすると、教育行政上も右措置が許されるはずはない。さらに、「性行不良であって他の生徒の教育に妨げがあると認めるとき」に初めて出席停止措置が認められていること(学校教育法四〇条、二六条)との均衡を考えても、右措置が違法であることは明らかである。すなわち、「他の生徒の教育に妨げがあると認めるとき」であっても厳重な要件と手続によってのみ教育委員会又は校長は出席停止措置をとることができるのに、他の生徒の教育に妨げなく、単に標準服と異なった服を着用しただけで出席停止措置と同様に登校することを許さないことができるはずがない。

したがって、甲川中教師らによる本件再登校指導は、出席停止措置の要件を備えないにもかかわらず、出席停止措置の手続も履行しないでなされたことなどから、違法性を有するものであることは明白である。

(二) 被告市の主張

(1) 本件再登校指導が違法性を有するか否か判断するに当たっても、本件再登校指導に至るまでの状況、原告の要指導状況、目的の正当性、本件再登校指導の態様,方法の相当性及び原告の損害の程度等の諸事情が総合的に考慮されるべきである。

(2) 甲川中においては、標準学生服を着用していない生徒が来校した場合に標準学生服に着替えて再登校するように指導し、それでも改まらない生徒については、生徒の自宅まで同行し、家庭の協力を得てその場で標準学生服に着替えさせて改めて登校させるという内容の再登校指導(標準学生服を捨てたり、なくしたりして、違反服しか所持していない生徒に対しては学校で準備している標準学生服に着替えさせたりする場合もある。)が職員会議で決定され、統一的な生徒指導方針として行われていたものである。ところで、服装指導には、大要、その場で注意してその場で改めさせるもの、その場で注意して次回から改めさせるもの、再登校指導のようにいったん帰宅させてでも服装を正させるものがあり、前二者は違反の程度が軽微な場合などに一般的に行われている指導法であるが、かかる指導によっては違反が改まらなかったり悪化したりする場合に後者のような指導がとられる場合があり、本件再登校指導はまさにかかる状況の下にとられたものである。また、甲川中教諭らは、原告らに対して放課後や長期休暇中に補習学習を行うことによって、学習面を保障する機会も確保していたものである。

(3) 中学生にふさわしい簡素な服装である標準学生服を定め、それを着用して登校すべきであるとし、それの違反があった場合には、標準学生服に着替えて再登校するように指導する再登校指導は、社会集団参加への準備期間としての中学生時期において、生徒に規範遵守の意識ないし習慣、協調心、遵法精神の前提たる集団への帰属意識を身につけさせる教育指導として重要かつ必要なものであるし、標準学生服を定めることによって、日々の手入れが簡単で清潔を保つことができるという保健・安全面での効果、スポーツを行ったり勉強したりする際にも支障にならないという学習指導面での効果、生徒間で華美なものや奇異なものの競争になったりすることを避けることができるという風紀面での効果及び保護者の経済的負担を軽減することができるという保護者の経済面での効果もある。

したがって、右に述べた再登校指導の趣旨、目的及び行為態様などの観点から判断して、本件再登校指導は生徒指導としての合理的範囲内のものであるというべきところ、原告は、一年時よりいわゆるボンタンズボンという違反服を着用し、高学年になるにつれ違反の程度が深刻化しており、再三にわたる指導によっても改まることがなかったことから、教諭らは、原告が違反服を着用して登校する都度、原告に対し標準学生服を着て再登校するよう口頭で指導したり、原告を自宅まで連れて帰って標準学生服に着替えさせたりし、花子に対しても繰り返し連絡や家庭訪問を行って、原告を登校させるよう要請し続けたものであって、本件再登校指導に違法性はないというべきである。

5 原告の損害-原告の主張

(一) 本件各行為は、教師らの圧倒的優位性を背景に、集団で行われたものであり、原告は何ら抵抗することもできずに、いわれるがままに砂に埋められ、頭髪を丸刈りにされ、校門から追い返されてしまったものであり、人間の尊厳を傷つけられ、教育を受ける権利及び人格の発達と幸福追求権を踏みにじられたものであり、原告の被った精神的打撃は極めて大きく、原告の被った損害は以下のとおり、総額金三〇〇万円を下らない。

(二) 本件砂埋めに関する損害

金一五〇万円

本件砂埋めは、乙原中に約束した処理の期限が迫る中、早急に自白させて犯人を解明する必要から行われたものであり、自白を得るための拷問に当たる。しかも、その動機は、真に原告らの反省を促すためではなく、対外的な事件の処理の必要性に基づくものであり、その動機において悪質である。また、その態様も、力関係において圧倒的に優位な立場に立つ被告教諭らが、夜間、集団で、原告らの顔に波がかかったりするまで行ったものであり、場合によっては肺を圧迫して呼吸をも阻害しかねないものであった。しかも、一緒に連れていった戊原と場所を離して埋めた後、顔の回りを足で踏み固めて一人で放置しており、原告は、置き去りにされたのではないか、波が来て死ぬのではないかなどと涙が出るほどの恐怖や不安を感じている。

このように、本来信頼すべき教師から、異常な恐怖と辱めを受けた原告の精神的苦痛は多大であって、これを償うに足る慰謝料は、金一五〇万円を下らない。

(三) 本件丸刈りに関する損害

金一〇万円

原告は、本件丸刈りの後、外出もしないで布団にもぐり込み一人泣いており、三日間位学校も休んでいる。原告のこの苦痛を償うに足る慰謝料は、金一〇万円を下らない。

(四) 本件再登校指導に関する損害

金四〇万円

原告は、二年生の二学期から卒業までの間、一時期を除いて、本件再登校指導を受けたが、これにより、学習の機会を奪われ、急速に学習意欲を失っていき、事実上高校進学の途を閉ざされ、中学校卒業後就職を余儀なくされた。さらに、本件再登校指導により、原告は、同年齢の生徒集団の中で切磋琢磨しながら成長し、人間関係を形成していく場をも奪われてしまった。また、原告は、校門から追い返された後は、教師ら及び被告市(教育委員会)から全く放置され、深い疎外感を味わった。

このような苦痛を償うに足る慰謝料は、金四〇万円を下らない。

(五) 弁護士費用 総額金一〇〇万円

原告は、本件訴訟追行のため、多数の原告代理人らと委任契約を締結し、本件訴訟において第二五回口頭弁論までに、述べ一七一人の弁護士が出廷し、膨大な時間を費やし、その準備のためその約四倍の時間を費やした。また、原告代理人らは、現場の検分などのため、一〇回以上にわたって福岡市内はもちろん県外へも出張したものであるし、訴訟関係書類の謄写などにも多額の費用を要している。これらの事情を勘案すると、弁護士費用は、本件砂埋めについて金八〇万円、その余について金二〇万円を下らない。

6 被告教諭らの個人責任の存否

(一) 原告の主張

(1) 現行の国家賠償法には、被害者から加害公務員個人に対する直接の損害賠償請求を禁止する定めはないにもかかわらず、公務員の個人責任を否定する見解が唱えられているが、個人責任否定説は、法解釈として論理の飛躍があるばかりでなく、実質的にも合理的な論拠がなく、かえってわが国における公務員の地位に関する歴史を無視し、民主的な監視という観点が欠落している。

これに対し、個人責任肯定説は、近代法の原則に則った当然の解釈であるというばかりでなく、実質的にも過ちを犯した者がその責任をとるという余りにも自明な人間社会の基本原則に則るものであるから右肯定説が正当である。そうすると、公務員に故意又は重大な過失がある場合はもとより、いわゆる軽過失に止まる場合であっても、民法上の不法行為が成立する以上、当該公務員は被害者に対して直接損害賠償の責任を負うと解するのが相当である。

(2) 被告教諭らは、夜間、中学生である原告を砂浜に生き埋めにしたのであって、これは捜査機関ですら禁止されている拷問による自白の強要、刑法上の逮捕・監禁罪に当たり、明白に学校教育法一一条所定の体罰の禁止に違反する行為でもある。そして、この生き埋めによって受けた原告の恐怖感及び屈辱感は筆舌に尽くすことができないものであり、結果も重大である。

したがって、被告教諭らによる本件砂埋めが民法上の不法行為に該当することは明らかであり、同被告らは被告市と連帯して賠償の責任を負うというべきである。

(二) 被告教諭らの主張

(1) およそ公権力の行使に当たる国又は公共団体の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、国又は公共団体がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人はその責任を負わないと解するのが最高裁の確定した判例である(最判昭和五三年一〇月二〇日・民集三二巻七号一三六七頁、最判昭和五二年一〇月二五日、最判昭和四七年三月二一日、最判昭和四六年九月三日、最判昭和三〇年四月一九日・民集九巻五号五三四頁等)。

そして、本件砂埋めは、甲川中における生徒指導の方針として、学校として意思確認された方針に基づいて行われたか、又は、その方針に従ってとられた具体的な指導の中で行われたものであるから、「その職務を行うについて」という要件を満たしているというべきてある。

(2) したがって、原告の被告教諭らに対する民法上の直接個人責任を理由とした損害賠償請求は失当である。

第三  争点に対する判断

一  争点1及び2(本件砂埋め)について

1 前記第二の一(争いのない事実及び証拠上明らかな事実)1及び2に加え、《証拠略》によると、本件砂埋めの経過として、以下の事実が認められる。

(一) 原告は、一年生の一学期には、学習態度は芳しくなかったものの、特に問題となるべき行動をとることはなかったが、二学期ころから、幅の広い違反ズボンを履いたり、遅刻をするようになり始め、三学期になると、違反ズボンを着用する回数や遅刻が増え、卒業式の日には、卒業生を見送るべき生徒でなかったのに、卒業生の見送りと称して、タンラン(丈が短い学生服上衣)、ボンタン(太股の部分の幅が広いズボン)という違反服を着て登校してくるなどした。二年生になっても、原告は、しばしば、違反ズボンを着用し、遅刻して登校してきた。

平成元年八月六日の夏期休暇中の登校日(原告は登校しなかった)に開かれた当日の二年生担当教諭らによる学年会において、原告らが脱色した頭髪や派手な服装で夜遊びを繰り返しているとの報告がなされた。そこで、夏期休暇における原告らの生活態度のくずれを憂慮した被告丙山らは、同月二六日、原告及び戊原を含む問題行動のおそれのある一〇数名の生徒を被告丙山の自宅に招待してバーベキューパーティーを催し、髪の脱色や服装等今までの生活態度を改めるよう指導したところ、原告らは二学期から頑張ると約束した。

(二) ところが、同月三一日、問題行動のおそれのあった右生徒ら中の数人が、福岡市立丁野中学校及び丙田中の生徒らに対し、それぞれ暴行、恐喝をはたらくという事件(丁野中事件と丙田中事件)が起きた。すなわち、同日午後一時ころ、戊山二郎(以下「戊山」という。)外三名は、甲川中近くのショッピングセンターで、丁野中の生徒三名に対して、金員を脅し取ろうとしたが拒否されたため、右生徒らを甲川公園まで連行して金三八八〇円を恐喝し、また、同日午後四時ころ、甲山三郎(以下「甲山」という。)、戊原外二名は、丙田中の生徒四名から総額金九三三〇円を恐喝したが、うち一名の生徒が金員の返還を求めてきたため、同生徒に対し殴る蹴るなどの暴行を加えて傷害を負わせ、そのころ通報により駆けつけた警察官によって補導された。

原告は、両事件に直接関与していたとは認められなかったが、丙田中事件の際、右加害生徒らと一緒に現場近くにいたため、右警察官より事情聴取を受けた。

丁川校長及び被告教諭らは、丙田中事件の加害生徒四名の保護者と協議し、頭髪を丸刈りにした右生徒らを伴って、同年九月二日に丙田中に赴き、被害生徒及びその保護者に謝罪した。

(三)ところが、その翌日である同月三日、原告、戊原、甲山及び戊山によって乙原中事件が引き起こされた。

同月八日、乙原中からの問合せを受けた被告丙川が、同校に赴いて、加害生徒の確認を依頼したところ、加害生徒は問題行動を起こしていたグループ中の原告ら四名であり、うち二名は丙田中事件にも関与し、乙原中事件発生の前日に丙田中に謝罪に行ったばかりの者であることを確認した。そこで、同日の放課後、原告らに対する今後の指導方針等を協議すべく、二年生担当教諭全員による臨時学年会が開かれ、その結果、とりあえず原告らから事情を聞こうということになった。そこで、被告乙野らは、原告らの保護者らに電話連絡し、原告らが帰宅したら学校に連絡するよう依頼するとともに、原告らを捜し回ったものの、原告らはその後学校を欠席したり登校しても早退し、また学校へ電話連絡もしないため、同月一一日まで原告らと接触することはできなかった。なお、この間、乙原中事件に対する対応を検討する学年会が一度開催された。

(四) 同月一二日の放課後、原告らの指導方法につき被告丙川も含めた学年会を開いて協議した結果、原告らの担任教諭がそれぞれの家庭を訪問し、原告らを学校まで連れてきて直接指導しようということになった。そこで被告乙野は、同日午後七時前ころ、原告宅を訪問したが、原告は不在であったため、応対に出た原告の母花子に対し、「(原告が)恐喝事件に関係があるようなので、話を聞くため学校に来させて下さい。」と伝えて学校に戻った(この点につき、花子は、被告乙野から電話で連絡を受けた旨供述するが、右学年会における被告教諭らの結論は、原告らの家庭を訪問することであったし、花子の供述は、原告が丸刈りとなった日時を同月一三日とし、乙原中事件の協議会への出席を求める連絡の有無についても連絡を受けたことはなかったとするなど、重要な点について後記認定(二1(三)、(四))と齟齬することなどに照らし、措信することができない。)。

原告及び戊原は、同日午後七時三〇分ころ、甲川中にやってきた。原告らが来たことを知った被告丙山らは、両名を右校舎のほぼ中央に位置する職員室前の廊下に少し離して立たせた上、原告からは被告乙野が、戊原からは、同人の担任である丙原教諭が休暇をとっていたため、一年生時の担任である被告丙山が、それぞれ五分程度事情聴取したが、原告は、「(学校に何故呼ばれたのか)思い当たることはない。」などと、戊原は、「(乙原中事件のことは)自分は知らん。関係ない。早く帰してくれ。」などと言うばかりであった。

そこで、このままの指導を継続しても効果が薄いと感じた被告乙野らは、いったん職員室に戻り、同所に残っていた教諭らと今後の指導方針を協議した。その結果、被告教諭らは、乙原中事件の内容及び性格、同事件発生後の原告らの行動その他の諸事情を考えると、原告らに乙原中事件に関与した事実を認めさせ、真に反省させるような強力な指導を行う必要があると判断し、夜間長浜海岸まで連れて行って強い指導を行うことを決めた。

そして、その余の加害生徒(戊山及び甲山)の担任教諭である被告乙山及び同丁原も同行することになり、被告乙野が学校のスコップ二本を同人の車の後部トランクに積み込んだ上、原告、戊原及び被告教諭らは、被告乙野、同丁原及び同戊田の自動車に分乗して、同日午後七時四〇分ころ甲川中を出発した。

(五) 被告教諭らは、同日午後八時ころ、福岡市西区大字今津の長浜海岸に到着した。

本件砂埋め現場付近の状況は、大要、別紙図面(検証調書添付の検証見取図に基づいて調製したものであり、同図面中の(イ)、(ロ)、(ハ)、(ヘ)及び{4}地点は、被告教諭らが検証の際指示したとされる場所である。)のとおりである。

当時の長浜海岸では、小雨が断続的に降っていた。また、同所は相当暗く、一〇メートルも離れるとほとんど何も見えなかった。

被告教諭らは、各自動車を別紙図面(イ)、(ロ)、(ハ)地点に駐車して車を降り、まず、二手に分かれて両名から話を聞こうということになり、原告には被告甲田、同丁原及び同乙野が、戊原には被告丙川、同丙山、同乙山及び同戊田がつき、原告に対しては被告乙野が、戊原に対しては被告丙山が口頭指導を開始した。

被告乙野は、原告に対し、「夜来ると様子が違うね。」などとまず心を開かせるような話をした後、しばらくしてから、「何か心当たりはないか。恐喝のことぜ。」などと話しかけたが、原告は無言であり、さらに、「自分の気持ちに素直にならんか。」などと言いながら事情聴取を継続したが、原告は下を向いて黙ったままだった。一方、被告丙山も、戊原に対して、恐喝のことを自分の口から話すようにもっていこうとしたが、戊原は、「関係ない。知らん。」などと言うばかりであった。

そこで、原告には被告丁原を、戊原には被告戊田を残して、その余の被告教諭らが集まり、今後の指導方法につき協議した際、被告丙川が、「砂に埋めて考えさせようか。」と提案したところ、同所に集まっていた者はその場でこれに賛同し、被告丁原及び同戊田も同じく賛同した。

(六) そこで、被告丙川が、相互に約五〇メートル離れた二地点を指示し、被告教諭らがスコップを使用して、それぞれの場所に、直径約九〇センチメートル、深さ約六〇センチメートルの穴を掘った。

海に向かって左側の穴(別紙図面(ヘ)地点付近)を掘り終わると、被告丁原は、右穴に入るよう原告に指示した。原告は、海側を向いて穴に入り、中腰の格好となったため、被告乙野及び同丁原が交替でスコップを用いて背中の方から砂を入れ、途中から被告甲田も手で砂を入れ、原告の肩の辺りまで砂を盛り上げた。この結果、原告は、動くことも首を回すことも全くできない状態となった。

原告を穴に埋めた後、被告丁原、同乙野、同甲田及び同乙山は、穴の後方で原告を見守るなどしていたが、埋めてから約一五分後に、被告丙山が原告に近づき、「お前がしたっちゃろう」と問いかけると、原告は涙を流しながらうなずいた。そこで、被告丙山は、同乙野のところに「甲野が自分で言うたよ」と言いに行くとともに、埋められている戊原の近くにいた被告丙川にもその旨伝えたところ、原告を穴から出そうということになり、被告乙野らがスコップなどで砂を取り除き、原告を穴から出した。その際、海水が右穴の中に入った。その後、被告乙野及び同丙川は、砂浜の後方の土手付近で、しばらくの間、原告に対して口頭の指導を行った。

一方、海に向かって右側の穴(前記検証時に被告丙川が指示した場所は、別紙図面において{4}地点と表示されているが、他方、同被告は、同地点から波打ち際までは約一〇メートルであったと説明しているところ、同図面の縮尺が五〇〇分の一であることを考慮すると、同地点の表示は不正確である。)を掘り終わると、被告丙山は戊原に対し、穴に入るよう指示したが、同人がこれに従わなかったため、同被告が戊原の肩を押さえて座らせた上、スコップなどで砂を入れ、首の辺りまで砂を盛り上げた。原告を穴から出した後しばらくして、戊原も恐喝の事実を認めたため、同人を穴から出したが、その際戊原が、「話したけんよかろうもん」などと言ったため、まだ反省が足りないとして、被告乙山、被告丙山及び同甲田は、同人を海中に押し倒した。

(七) その後、先に一人で帰校した被告戊田を除く被告教諭らは、着衣を脱いで下着姿となった原告らを、原告は乙野車、戊原は丁原車にそれぞれ乗車させて帰途についた。その車中においても、被告丙山及び同丙川は、乙原中への謝罪のことや今後の生活のことなどを原告に話したところ、原告はうなずきながら話を聞いていた。原告らは、同日午後九時過ぎ、学校に到着し、足洗い場及び警備員室内のシャワー室で体を洗い、被告乙野が原告宅から取ってきた洋服にそれぞれ着替えた後、五分間程被告丙山の指導を受け、乙川教諭の運転する自動車で帰途についた。同日午後一〇時過ぎ、原告が自宅に到着すると、花子から、「本当に恐喝したのか。」と質問され、「恐喝した。」と答えたところ、頬を平手で叩かれるなどし、夕食も食べないまま午後一一時ころ床に就いた。

(八) 原告らが長浜海岸に向かって出発した後、甲山及び戊山が来校し、乙川教諭より乙原中事件の事情聴取を受けていたが、同事件への関与を認めるに至っていなかったため、長浜海岸より戻ってきた被告教諭らが、その指導を引き継ぐことになり、戊山には被告甲田及び同戊田が、甲山には被告乙野、同丙川及び同丙山がついて事情聴取を開始したが、両名の態度に変化が見られなかったため、被告戊田及び同甲田は戊山を数回平手打ちにし、また、被告乙野、同丙川及び同丙山は、甲山を壁に押しつけたり叩いたりしたところ、両名は乙原中事件への関与を認めるに至った。なお、戊山は、右暴行により、鼓膜を損傷した。

2 以上の事実が認められるが、事実認定上争いのある主要な点(争点1のとおり)について、右事実を認定した理由を補足的に説明する。

(一) まず、本件砂埋め当時の天候及び長浜海岸の明るさについて検討するに、《証拠略》によると、右当時、台風一九号が日本に接近しつつあり、福岡地方においても、同日午前一一時三〇分に雷注意報が、午後七時五〇分には大雨、洪水、雷、波浪注意報が発表されていたが、同日午後八時から同九時における降雨量は、福岡管区気象台(福岡市中央区大濠一丁目二番三六号所在)においては一ミリメートル、前原地域気象観測所(福岡県糸島郡前原町前原一一一〇所在)においては三ミリメートルに過ぎず、また、同日午後七時ころから同一〇時ころにかけて、両地点における降水量は減少傾向にあり、レーダーアメダス合成図によれば、長浜海岸付近における同日午後八時から午後九時までの降雨量も一ミリメートル未満に過ぎなかった。また、同日午後七時一一分、福岡管区気象台から南西約五ないし一〇キロメートルの地点において雷が発生し、午後七時三二分ころ西方でも発生したが、午後七時四五分以降発生したとの事実はない。

したがって、同日午後八時から同九時にかけての長浜海岸においては、小雨が継続的に降る程度の降雨状況であり、雷も確認されなかったと認めるのが相当である。

また、当時の長浜海岸の明るさについては、検証の結果によれば、平成三年九月一一日午後八時二〇分から同九時ころにおいては、一〇メートル離れるとほとんど何も見えない状態であったと認められるところ、右検証時は星空で月の出ていない晴天であり、本件砂埋め当日の天候とは異なるため、断定はできないものの、日時や時刻がほぼ同じであったこと、市街地の灯も事件当夜より検証時の方が明るかったものと考えられることなどに照らせば、本件砂埋め当時の明るさは、検証時のそれを上回るものではなかったと認めるのが相当である。

(二) 次に、被告教諭らが長浜海岸に持参したスコップの本数につき検討するに、被告教諭らは一貫してスコップは二本であったと供述していること、平成二年七月ころ本件砂埋め等に対する捜査の際、押収されたスコップは二本であったことなどに照らし、その本数は二本と認めるのが相当である。

この点に関し、原告は、長浜海岸に到着してから、被告乙野がトランクを開けてスコップを二、三本取り出した、被告教諭らのうち二名がそれぞれ一本ずつスコップを持って同時に二人で一つの穴を掘っていた旨、戊原は、学校を出発する前、相談室ないし印刷室前の廊下からスコップ五、六本が被告戊田と同甲田の自動車のトランクに積み込まれるところを見た、被告丙山、同乙山及び同丙川がそれぞれ一本ずつスコップを持って、三人で穴を掘っていた旨供述等している。しかしながら、前示程度の大きさの穴を砂浜に掘るに際し、一つの穴について同時に複数のスコップを使って掘る必要性はなく、かえって非能率的ではないかとさえ思われること、放送室を隔てて職員室の東側に位置している相談室ないし印刷室から玄関までは、二五ないし三〇メートルの距離があり、その間には樹木もあり、印刷室等の灯があったとはいえかなり薄暗かったと考えられ、戊原がスコップの本数等まで確認できたか疑問があること、戊原の傍らにいたと思われる原告はスコップを全く目撃していないこと、原告のスコップの本数についての認識の主たる根拠はスコップ同士が触れ合ってガチャガチャ音を出していたことにすぎないことなどの事情に照らせば、原告及び戊原の供述等は措信し難いものといわざるを得ない。

(三) 次に、被告教諭らが本件砂埋めを行うことを決定をした時期につき検討する。

被告教諭らは、職員室での協議の場において、被告丙山が、原告らの感情を素直にするとともに十分話をして、原告らが自ら乙原中事件のことを言えるよう指導すべく、「校外に出よう。」と提案し、他の教諭もこれに同意したが、出発の際には特に行き先も決めていなかった、たまたま先頭車の車中で、長浜海岸は原告らが一年生の時遠足で行った場所でもあり、楽しい思い出もあろうと考え、長浜海岸へ向かうことにしたなどと供述している。

しかしながら、乙原中事件発生から本件砂埋めまでの間に同事件に対応するために開催された学年会の回数とその内容等(特に、本件砂埋め当日は、原告らの各担任が、原告らを直接指導すべく家庭訪問までしており、ほとんどの二年生担当教諭も学校に残っていた。)に照らすと、被告教諭らは、丙田中事件と乙原中事件との時間的近接性や関与者の共通性、他校の生徒に被害を与えたというその事件内容及び性格等から事態を深刻に受け止め、原告らをして真に反省させるとともに、早急に乙原中の被害生徒ら関係者に対して謝罪させることが是非とも必要であるものと考えていたこと、ところが、そのための指導をしようとしても、原告らは、被告教諭らの電話連絡にも全く応じず、また、放課後の居残りを指示しても無断で早退してしまう有り様で、指導の機会を作ることさえ思うにまかせない状態が続き、被告教諭らとしては相当焦慮していたことが明らかである。

また、被告教諭らが原告らを伴って校外へ出発した時間は日没後の午後七時四〇分ころであり、当日は台風一九号が接近して大雨が予想され、右出発の当時はまだ小雨であったものの継続的に降る状況であったと思われること、それにもかかわらず、わざわざ甲山及び戊山の各担任も含む総勢七名もの被告教諭らが長浜海岸に向かっていることなどに照らすと、被告教諭らは、夜間暗い長浜海岸において、原告らに対し強力な指導を行うことを当初から予定していたものと推認されるのであり、これは、本件砂埋めの後に穴から出した戊原を海中に押し倒すという行為にまで及んでいることや、同日、甲山及び戊山に対しても前示のような暴行が加えられていることとも符号するものということができる。

そして、被告教諭らは甲川中を出発する前にスコップ二本を被告乙野の自動車のトランクに積み込んで長浜海岸に向かっているところ、スコップを持参した理由につき、被告乙野は、体育会で使う石などを取るため使用したものを同被告の自動車の後部座席に積んだままにしておいたが、長浜海岸に出発する際、後部座席に人を乗せることになったことから、トランクに積み替えたものであると供述しているが、右供述の具体的な内容は、「体育会の準備でグランドに支柱を立てる際にぐらぐらしないように根元に入れる石を探りに行くためにスコップを使用した、体育会は九月二三日である、実際に石を採りに行ったのは九月初めごろだったと思う、川原にあるこぶし二個位の大きさの石を採ってきて学校に下ろした、まだ支柱は立てていなかった、また採りに行くかも知れないと思って自分の自家用車の後部座席にスコップ二本を置いていた」というものであるところ、これには、なぜ体育会の日より三週間も前に石を採りに行ったのか、なぜ石の採取が一度で済まないのか、なぜ学校のスコップを被告乙野の自家用車の後部座席に長期間積んだままにしておくのか等拭いきれない疑問点が多く、いかにも不自然であって、にわかに信用することはできない。また、被告乙野は、長浜海岸で指導方法を協議し穴を掘って埋めようと決めた後にスコップがあることを思い出したと供述しているが、手や板切れで原告らを埋める穴を掘ろうというのは不自然であり、スコップがあるからこそ穴を掘って中に埋めようという案が出てきたと考える方が自然である。

以上のような諸事情を総合して判断すると、甲川中を出発する以前に職員室で今後の指導方針を協議した際に、被告教諭らは、原告らに乙原中事件に関与した事実を認めさせて、真に反省させる必要があると判断し、そのためには夜間長浜海岸まで連れて行って強い指導を行うこともやむを得ないとすることで一致したものと認めることができる。もっとも、右に言う強い指導なるものが同海岸の砂浜に原告らを埋めることを指し、あるいはこれをも含むものであったと断ずるまでには至らないが、ただ被告教諭らのうち少なくともスコップを車に積み込んだ被告乙野及び現場で砂埋めを提案するなどした被告丙川においては、原告らの態度その他成り行き次第では砂浜に原告らを埋めるなどして強く反省を迫ることも考えていたものと認めるのが相当である。右認定に反する被告教諭らの前記供述は採用することができない。

(四) 次に、原告の埋められた穴の位置及び波の状況について検討する。

前示のとおりの本件砂埋めに至る経過に照らせば、被告教諭らとしては、原告らに真に反省を迫り得る態様で砂に埋めれば十分であったのであり、あえて両名の生命に危険を及ぼす行為までする理由も必要もなかったこと、穴を掘る際、原告らに危険が及ぶのではないかなどと穴の位置につき異議を唱える者はいなかったこと、波打ち際に近い場所で穴を掘ることは通常困難であること、穴を掘る際に水が滲み出すようなことはなかったこと、原告は穴に入る際にこれを拒否するような態度は示しておらず、また、穴に埋められている間も大声で助けを呼んだり号泣するようなことはなかったことなどをも考慮すると、原告が埋められた穴の位置は、波打ち際からある程度離れており、埋められている時、原告が波をかぶることもなかったと認めるのが相当である(原告本人の供述中これに反する部分は措信できない。)。なお、原告を穴から出す際、海水が穴の中に入ったことが認められるところ、この原因としては潮が満ちてきたことがまず考えられるが、《証拠略》によれば、当時の長浜海岸における満潮時刻は午後八時一〇分前後であり、また、原告が穴から出された後の口頭指導の時間、原告らが学校に到着した時刻及び原告が家に着いた時刻等に照らし、原告が穴から出された時刻は午後八時三〇分前後であったものと推認されるから、右浸水の原因として潮が満ちてきたことを挙げるのは無理があるように思われる。ただ、原告が穴から出された時刻を認定するのに用いた証拠は、原告や被告教諭らなどの陳述書や供述であってその正確性は相対的に乏しく、また、長浜海岸における満潮時刻にしても、博多湾や呼子における満潮時刻等から推定したに過ぎないところ、原告や戊原が穴に埋められている時、潮が満ちてきたとの認識を有していたことなどをも考慮すると、潮の満ちてきたことが右浸水の原因であるとの可能性もなお捨てきれないものがある。ただ、いずれにせよ、原告の穴に海水が入ったのは同人を穴から出すときが初めてだったことなどに照らせば、右浸水の事実も、原告が埋められた位置が波打ち際からある程度離れていたと認める妨げとなるものではないというべきである。

ところで、原告及び戊原は、当裁判所の検証の際に、原告が埋められたのは別紙図面(E)地点、戊原が埋められたのは同地点から東方約二七〇メートルの地点であったと指示説明している。しかしながら、本件砂埋めに至る経過、特に砂埋めの動機やこれに伴う指導の時間等に照らすと、両者をこれ程遠くに離して埋めたとは考え難く、また、原告と戊原は互いに引き離されて、暗がりの中で、砂浜に掘られた穴に一方的に埋められたわけであるから、そのような原告らに、各自が埋められた穴の位置を正確に指示することを期待するのはそもそも無理があるものといわざるを得ない(現に、検証の際には、別紙図面(ヘ)地点に近い(F)地点に穴を掘って、埋められた状況を再現しており、原告が指示した(F )地点において人が入れるような穴を掘ることはできなかったことがうかがわれる。)ことも考え併せると、原告らの指示説明をそのまま採用することはできない。

これらの事情を総合して判断すると、原告の埋められた穴の位置については、おおむね被告教諭らの指示説明のとおりであったものと認めるのが相当である。

3 争点2について

(一) まず、本件砂埋めが、学校教育法一一条ただし書にいわゆる「体罰」に当たるか否かにつき検討する。

右にいわゆる「体罰」とは、事実行為としての懲戒のうち、被懲戒者に対して肉体的苦痛を与えるものをいい、その判断に当たっては、教師の行った行為の内容に加え、当該生徒の年齢、健康状態、場所的、時間的環境等諸般の事情を総合考慮すべきものと解されるところ、本件砂埋めは、日没後の午後八時過ぎころ、小雨が断続的に降るという天候の下、人気のない暗い海岸の砂浜において、直径約九〇センチメートル、深さ約六〇センチメートルの穴を掘って、その中に当時満一三歳の少年であった原告を入らせて座らせ、首まで砂を被せて約一五分間にわたり埋めたというものであって、原告に肉体的苦痛を与えるものであることは容易に推認でき、本件砂埋めが学校教育法一一条ただし書にいう「体罰」に該当することは明らかである。

(二) 次に、本件砂埋めの違法性の有無について検討する。

被告らは、本件砂埋めは、外形的には身体に対する有形力の行使ではあるが、原告と被告教諭らを取り巻く本件の具体的状況ないし諸条件の下では、真にやむを得なかったものであり、社会的許容範囲を超えた違法不当なものであるとまではいえないと主張している(第二の二2(一))。

しかしながら、学校教育法一一条ただし書が体罰の禁止を規定した趣旨は、いかに懲戒の目的が正当なものであり、その必要性が高かったとしても、それが体罰としてなされた場合、その教育的効果の不測性は高く、仮に被懲戒者の行動が一時的に改善されたように見えても、それは表面的であることが多く、かえって内心の反発などを生じさせ、人格形成に悪影響を与えるおそれが高いことや、体罰は現場興奮的になされがちでありその制御が困難であることを考慮して、これを絶対的に禁止するというところにある。したがって、教師の行う事実行為としての懲戒は、生徒の年齢、健康状態、場所的及び時間的環境等諸般の事情に照らし、被懲戒者が肉体的苦痛をほとんど感じないような極めて軽微なものにとどまる場合を除き、前示の体罰禁止規定の趣旨に反するものであり、教師としての懲戒権を行使するにつき許容される限界を著しく逸脱した違法なものとなると解するのが相当である。

これを本件についてみるに、前示のように、本件砂埋めの背景には乙原中事件の反省を求めるなどのため原告に対し指導を行う必要があったこと、本件砂埋めをする前に相当の口頭指導をしたにもかかわらず原告が事実を認めようとしなかったこと、被告乙野らは原告を砂に埋める際に同人が怪我をしないように注意を払いながら埋め、埋めた後も穴の後方から原告に危険が及ばないよう注意していたことなどが認められるが、本件砂埋めは、前示のとおりのものであり、肉体的苦痛を感じないような極めて軽微な態様のものではないし、とりわけ原告に与える屈辱感等の精神的苦痛は相当なものがあったというべきであって、前示のとおりの背景等があったとしても、教師としての懲戒権を行使するにつき許容される限界を著しく逸脱した違法なものであり、違法性が阻却されることはないといわざるを得ない。

したがって、被告らの違法性阻却の主張は採用できない。

(三) なお、原告は、本件砂埋めが憲法三六条にも違反すると主張するが、同条は本質的に刑事手続過程における人権侵害の防止を念頭においたものであり、ここにいう「公務員」とは、裁判、検察、警察の職務に従事する公務員をいい、「拷問」とは、被疑者又は刑事被告人に自白させる目的で肉体的苦痛を与えることをいうものと解されるから、本件砂埋めは同条の適用場面とは前提を異にするものといわなければならない。ただし、被告教諭らは、原告が乙原中事件に関与したことを原告自身の口から告白させるべく本件砂埋めを敢行したとの側面は否定できないところ、懲戒を課する前提として教師が有している事実確認をなす権限は、合理的限度で行使されるべきは当然であり、かつ、被告教諭らが右の合理的範囲を逸脱して右事実確認をする権限を行使したのは明らかであるから、本件砂埋めはこの点においても違法というべきである。

二  争点3(本件丸刈り)について

1 《証拠略》によると、以下の事実が認められる。

(一) 乙原中事件等の恐喝事件及び本件砂埋めに至る経緯は前示第二、一2及び第三、一1のとおりである。

(二) 平成元年九月一日の始業式の日、丙田中から甲川中へ、丙田中事件発生の連絡があった。そこで、丁川校長は同日、同事件の事後処理を検討すべく、加害生徒の保護者ら全員を学校に呼び協議会を開催した。同校長は、被害生徒の保護者の怒りが激しく、謝罪に行って誠意を伝えることができなければ、外部機関での処理のおそれが高いとの認識を有していたことから、右協議会の席上、「謝罪に行くのなら、反省の気持ちを態度で示す必要がある。」旨発言したところ、甲山の父親が「(加害生徒らを)丸刈りにしたら良い。」と提案し、その余の保護者らもこれに賛同したため、翌二日、右加害生徒らを丸刈りにした上、服装も調えて丙田中に出向き、被害生徒の父親らに謝罪したところ、当初怒りをあらわにしていた右父親も、加害生徒らの外見や神妙な態度を見て、最後には怒りもおさまり謝罪を受け入れた。

(三) その翌日である同月三日に、前示第二、一2のとおり、丙田中事件に関与していた生徒中の二名と原告らとによる乙原中事件が発生した。

同月一八日午後五時ころから、乙原中事件の処理等を協議すべく、戊原、甲山及び戊山の保護者ら、丁川校長並びに原告らの担任教諭らが参加して、協議会が開催された。花子に対しても前日の同月一七日に右協議会を開催する旨連絡していたが、同人は都合により参加しなかった(なお、花子は、右協議会に関する連絡を受けたことはなかった旨供述するが、乙原中事件に関与した原告を除く三名の生徒の保護者に対する連絡はなされたものと推認されるのに、花子だけに連絡がなされなかったというのは疑問であることや、丙田中事件の場合においても加害生徒の保護者全員が協議会に出席していることなどを考慮すると、花子の右供述はにわかに信用することができない。)。丁川校長は、乙原中から、被害生徒への話は乙原中で行うからまず被害の弁償と謝罪をしてほしい、甲川中の方できちんとした指導ができないようであれば警察に任せるのも止むを得ないとの連絡を受けていたことや丙田中事件の経験もあり、右協議会の席上、謝罪に行くに当たっては誠意を見せるため、他の二名と同様、原告及び戊山を丸刈りにしてはどうかと提案したところ、出席の保護者はこれに積極的に賛同した。

(四) 翌一九日、丁川校長は、原告らを校長室に呼び、謝罪の際の格好等の話をする中で、「乙原中に謝りにいかなきゃならんが、どうするね。お父さんたちも昨日の話合いできちんとした格好で行かないかんて言いよったぞ。」と言うと、丙田中事件で既に丸刈りになっていた戊原及び甲山が、「坊主にせにゃ。」などと冷やかすように言い、丁川校長も、「坊主にするね。」などと話しかけたところ、原告と戊山は、うんと返事をしてうなずいた。そこで、丁川校長は、被告乙野に対し、両名を丸刈りにするよう指示し、被告乙野は印刷室において、電気バリカンを用いて原告の頭髪を切り始めたが、引っ掛かって同人が痛がったため、被告乙山が交代して原告らを丸刈りにした。そして、同日、被告丙川、同丁原及び同乙山が原告らを連れて乙原中へ出向き、同中の校長らに対し、謝罪及び被害金の返還を行った。

謝罪を終え帰校すると、授業は既に終了していたため、原告はそのまま帰宅したが、初めて丸刈りとなったショックから、布団にもぐり込んで泣き、戊原からもらった帽子をかぶって登校するまで、三日間程学校を休んだ。

2 以上の認定事実に基づいて、本件丸刈りの違法性について検討するに、丙田中事件についての謝罪方法を協議した際には、加害生徒の保護者から丸刈りにして謝罪することが提案され、加害生徒ら自身も他の保護者もこれに同意していたこと、その態度により丙田中被害生徒の保護者らも謝罪を受け入れてくれたこと、その翌日に発生した乙原中事件につき同月一八日に開催された協議会において他の加害生徒らの保護者は積極的に加害生徒らを丸刈りにすることに賛同していること、翌一九日に原告らもこのような経過を丁川校長から説明され、また、丙田中事件における謝罪に際して丸刈りとなった戊原及び甲山が原告らも丸刈りとなるよう求めたこと、原告はこれらに対し特に拒否するような言動はしておらず、また、実際に頭髪を刈られる際にもバリカンが引っ掛かって痛がったものの丸刈り自体を拒否する様子はなかったことなどの事情を総合すれば、原告は、乙原中へ謝罪に行くに際し、誠意を示すために頭髪を丸刈りとするなどして謝罪に赴くこともやむを得ないと納得し、丸刈りになることを承諾したと認めるのが相当である。そして、原告は当時まもなく満一四歳となる年齢であったことからすると、丙田中事件や乙原中事件に対する丁川校長、被告教諭ら及び関係生徒の保護者らの対応を見て、事の重大さや自己がいかなる立場に置かれているかをそれなりに認識していたものと思われるから、原告の右承諾は相応の意義を有するものである。また、花子の同意を得ていないことについても、前示の経緯に照らせばこれを一概に非難することはできないものというべきである。そうすると、本件丸刈りに違法性は認められない。

なお、この点に関し、原告は、丸刈りされることに抵抗できなかった旨供述しているところ、原告が初めて丸刈りになったショックから布団にもぐり込んで泣いたり、学校を休んだりしたことは前示のとおりであるから、原告が本件丸刈りを進んで受け入れるというような心境ではなかったことは明白である。しかし、一九日の甲川中校長室での雰囲気は、甲山及び戊原が、原告らを冷やかし得るような比較的平穏なものであり、丁川校長の説得も前記1(四)の域を出なかったのであるから、原告が丸刈りの要請に抗し得なかったのは、その場の雰囲気や丁川校長の態度に原因があるというよりも、諸状況に照らして、丸刈りになることもこの際やむを得ないものと原告自身が考えたからにほかならない。

三  争点4(本件再登校指導)について

1 《証拠略》によると、以下の事実が認められる。

(一) 甲川中においては、生徒会によって「生徒心得」が作成され、その第五章に服装に関する規定が置かれており、男子については、「上着は黒のつめえりで、型は標準型、ズボンは黒の標準型を着用する。」などと、女子については、「上着およびスカートは標準型を着用する。」などと規定され、図解入りの各種規定も設けられている(以下、右規定に基づく服装を「標準服」という。)。

(二) 甲川中においては、かねて右生徒心得の規定に違反する服装(以下「違反服」という。)で登校してくる生徒に対し、一週間程度の余裕を与えて服装を改めるよう指導がなされていたが、かかる指導に応じない生徒が散見され、そのほかにも頭髪違反や教科書等授業に必要な物を持参してこない生徒等が増えていたことから、右生徒らへの指導方@が問題となり、職員会議で右問題を討議した結果、平成元年五月ころから、違反服で登校してきた生徒に対して、いったん帰宅して標準服に着替えて再度登校することも含む服装に関する指導を行うことになった。

具体的には、毎朝数人の教諭が校門に立ち、違反服で登校してきた生徒に対して、違反の程度が低い場合には、今日はよいが明日から服装を直して来なさいと指導したり、学校に卒業生からもらってきて用意してある標準服があればこれに着替えさせ、また、一週間しても直して来ない者や違反の程度が著しい場合には、いったん帰宅して標準服に着替えて再度登校するよう指導していた。また、校門で教諭の指導を受けることなく学校内に違反服で入っている生徒に対しても帰宅させて着替えて来させることもあったが、無理に学校から追い出すことはなかった。校門において着替えて再度登校するよう指導を受けた生徒は、すべて指導に従って帰宅しており、帰らないであくまで違反服のまま授業を受けたいと申し出る生徒はいなかった。また、帰宅に際しては教諭が同行することもあり、指導を受けた生徒の半数以上は、標準服に着替えて再度登校していた。

平成二年四月ころ、受験等で大切な時期との理由で、三年生に対する右指導は見合わせられたが、これにより服装違反が増加したことから、同年六月ころ、再び従前の指導方針に戻された。

(三) 原告は、一年生の二学期ころから、幅の広い違反ズボンを履いたりするようになり始め、三学期になると、違反ズボンを着用する回数が増え、卒業式の日には、卒業生を見送るべき生徒でなかったのに、卒業生の見送りと称して、タンラン、ボンタンという違反服を着て登校してくるなどし、二年生になっても、しばしば違反ズボンを着用して登校し、平成元年夏ころからは、頭髪を脱色したり、違反の目立つタンランを着用し始めた。

被告教諭らは、かねて原告の服装等に対する指導を行ってきていたが、一向に直らないばかりか、同年一二月ころには、原告はタンランのほか極端に幅の広いズボンを着用するようになった。そこで、被告教諭らは、著しい違反服で登校してきた原告に対し、家に帰って着替えて来るよう指導するようになった(本件再登校指導)。しかしながら、原告は、標準服に着替えたくないため、標準服を紛失したなどと言って標準服を着ようとしなかったり、学校に入れて学校で用意した標準服を与えてそれに着替えるよう指導してもこれを拒否し、更に指導すると学校から出ていってしまったりするといった状況であった。

なお、被告教諭らは、原告らに対して、放課後、補習授業などを行ったり、平成二年の夏休みには、一〇数回の学習会を開催したりしたが、原告はほとんど参加しなかった。

原告は三年生になっても、服装違反や遅刻を繰り返していたが、平成二年九月一一日に交通事故に遭い、約一か月間入院してからは、卒業するまでほとんど登校することもなくなった。

2 以上の認定事実に基づいて、本件再登校指導の違法性の有無につき検討する。

(一) 学校教育法四〇条、二六条は、市町村の教育委員会は、性行不良であって他の生徒の教育に妨げがあると認める生徒があるときは、その保護者に対して、生徒の出席停止を命ずることができる旨規定しているが、同条の外に生徒の授業への出席を阻害するような措置を定める規定はない。そして、憲法二六条二項が国民のその保護する子女に対する普通教育を受けさせる義務を規定し、これを受けて、教育基本法四条は九年間の普通教育を受けさせる義務等を規定し、学校教育法三五条、三七条及び三九条は、中学校教育について右義務を具体化する規定を定めていることに照らせば、教師等が、出席停止措置の外に授業への出席を阻害するような措置をとることは、懲戒等の正当な目的を有する場合であっても許されないものというべきである(学校教育法施行規則一三条三、四項が、公立中学校等に在学する学齢生徒に対する退学処分や学齢生徒に対する停学を禁止しているのもかかる趣旨の現れとみることができる。)。

(二) ところで、本件再登校指導は、前示のとおり、服装違反、頭髪違反等が進んでいた甲川中において、社会的規範を遵守することを指導し、落ちついて勉強できる雰囲気を維持するための環境を整えるといった観点から、平成元年五月ころから実施されてきたものであるところ、その具体的な態様は、前示1(二)のとおりのものであり、あくまで違反服を着替えてくるように指導するものであって、違反服を着て登校してきた生徒に対する懲戒として授業を受けさせないといった内容のものであったとは認められない。つまり、違反服を着て登校してきた生徒がいたとしても、そのこと自体を理由に当該生徒に対して授業を受けさせないという制裁ないしは不利益を課するものではなく、違反服を標準服に着替えさえすれば何らの問題もないのである。

そうすると、本件再登校指導を目して、原告が主張するような、授業を受けることの禁止措置であるものとするのは当たらない。

(三) これを原告に対する本件再登校指導についてみても、前示のように、原告が一年生の終わりころから顕著な服装違反を繰り返し、被告教諭らの再三にわたる指導にも従わず、特に、平成元年一二月ころには、タンラン、ボンタンなどといった生徒心得の規定を大きく逸脱した服装で登校してきたために行われたものである。このように、原告に対する本件再登校指導は、原告において、甚だしい違反服をこれ見よがしに着用してきたために行われたものであり、十分理由があるものということができる。しかも、被告教諭らは、原告に対し、いきなり、本件再登校指導をしたわけではなく、学校で用意した標準服に着替えるよう指導するなどの試みもしており、さらには、原告のように、遅刻や欠席が多く、授業の遅れが目立つ生徒に対しては、放課後補習授業を行うなどの配慮もしていたものである。

然るに、このような指導に対する原告の態度は、標準服を紛失したなどという口実を構えて標準服を着ようとせず、学校で用意した標準服への着替えも拒否し、さらには、指導を受けると直ぐに帰ってしまうといった有り様であった上、補習授業にもほとんど参加しなかったのであり、服装に関する指導を真摯に受け止めていたとはいえないばかりか、そもそも、授業に対する積極的で誠実な姿勢を見てとることができないものであった。

そうすると、本件再登校指導を受けた際に、原告が結果的に授業を受けないままに終わったことが少なくないとしても、それは、原告が違反服を着替えたくないばかりに教師の指導を回避し、あるいは、そもそも授業に対する意欲が低下していたために、授業を受ける権利を自ら放棄したという色合いが濃いものであって、本件再登校指導によって原告の授業を受ける機会が奪われたものとは認め難いものといわなければならない。

3 したがって、本件再登校指導に違法性を認めることはできず、原告の主張は採用できない。

四  争点5について

1 本件砂埋めは、被告教諭ら七名の教師が、乙原中事件への関与を否認する原告に対し、関与の事実を認めさせて真摯な反省を迫るために強い指導を行うべく、日没後の午後八時過ぎころ、小雨が断続的に降るという天候の下、人気のない暗い海岸に連れて行き、原告がなお関与の事実を認めないため、その砂浜に穴を掘って、その中に当時満一三歳の少年であった原告を入らせて座らせ、首まで砂をかぶせて約一五分間にわたり埋めたというものであって、身体拘束の時間は比較的短く、傷害を負わせるようなものではなかったものの、行為の時刻、場所、天候等の状況、原告の年齢、被告教諭らの人数、これまでに例を見ないような行為の異常さ等に照らすと、原告が本件砂埋めにより味わった恐怖感や屈辱感は相当なものがあるというべきである(なお、被告教諭らの陳述書中には、原告及び戊原が、長浜海岸から帰校してシャワーを浴びる等した際、二人でシャワーをかけ合ったりしてはしゃいでいたなどとする部分があるが、原告及び戊原ともこの点を真っ向から否定しており、直ちにその旨認定することはできない。)。また、被告乙野らにおいては、甲川中を出発する前に場合によっては砂浜に原告を埋めようと考えてスコップを持参して行ったというものであり、計画的な体罰という側面もあったといわざるを得ない。しかも、被告教諭らにおいては、本件砂埋めを学校教育法が禁止している体罰には当たらず、また、生徒指導の場面において体罰が必要な場合もあると考えているふしさえあり、現に、本件砂埋めの直後に、乙原中事件の別の加害生徒に対し、前示認定のとおりの暴行を働いている(前記一1(八))ほか、日常的にも懲戒の手段として体罰を行っていたこともうかがわれることなどを考え併せると、被告教諭らに対しては、その教育観につき再検討を促すことを含めて、深刻な反省を求めなければならない。

確かに、被告ら主張のように、原告には、一年時から服装違反や遅刻、教科書等授業に必要な物を持参してこない等の問題行動があり、教師らの指導にもなかなか従ってこなかったところ、原告が直接関与したとは認められないものの、その友人が起こした暴行恐喝事件である丙田中事件については原告自身も十分認識していたにもかかわらず、その直後に乙原中の生徒に対する恐喝事件に及んだことが認められ、原告に対しては早期の十分な指導を行う必要があり、そのため事件への関与を認めさせて真摯な反省を迫ろうとした被告教諭らの動機は理解できないわけではないし、地域社会の一部に生徒指導や懲戒の手段として体罰を容認する空気があることがその背景にあったことは想像されるものの、いかに強力な指導や懲戒が必要な場合であっても、その手段として体罰を用いることは法により厳に禁じられているところであり、被告教諭らが、法が体罰を禁止した趣旨に関する理解において十分でなく、原告に対する指導方法を誤ったことは明らかである。

加えて、平成二年七月に本件砂埋め事件の報道がなされ、さらに平成三年三月には本件訴訟が提起されるに至ったのであるが、それに対する被告教諭らの対応はひたすら防衛的な姿勢に終始するばかりで、真摯な反省に欠ける憾みがあるものといわなければならない。もっとも、原告の側においても、右報道等を通じていたずらに他罰的な傾向を強めてしまったきらいがあることも否めず、これらの事情が両々あいまって、本件砂埋め事件の教訓を真に実りあるものにし得ないまま現在に至っているように思われる。

以上のような本件砂埋めをめぐる諸般の事情を総合して判断すると、原告が被った精神的損害に対する慰謝料は、金四〇万円と認めるのが相当である。

2 《証拠略》によれば、原告は、本件訴訟の追行を原告訴訟代理人弁護士らに委任したと認められるところ、本件の事案の内容、困難さ、認容額等に照らし、本件砂埋めの不法行為と相当因果関係に立つ弁護士費用は金一〇万円と認めるのが相当である。

五  争点6について

公権力の行使に当たる地方公共団体の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、地方公共団体がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人はその責を負わないものと解すべきである。

したがって、本件砂埋めによって生じた損害につき、被告教諭らはその責を負わないものというべきである。

六  結論

以上のとおりであるから、原告の請求は、被告市に対し金五〇万円及びこれに対する不法行為の日である平成元年九月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、被告市に対するその余の請求及び被告教諭らに対する請求はすべて理由がないからこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西 理 裁判官 岡健太郎 裁判官 原 啓章)

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